ヒプノセラピーを受けた方(ダンサーの女性)の体験談をご紹介いたします。
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ヒプノセラピーをやってもらってきました。始めはなかなか導入部分の階段が探せずに深い意識状態に入れなかったのが、ある段階で、さっと光に包まれ、あるシーンが広がった。三歳の私がひい婆ちゃんの部屋にいた。古い日本家屋の軒下の感じや庭へつながる窓辺の雰囲気。私の記憶よりも少し新しい感じがするのがまたリアルだと客観的に観ている自分もいる。片隅には、なんと若かりし頃のママが。その時の自分の気持ちまで感じていた。主観と客観の調度狭間に浮いているようなファジーな感じ。ここではあまり情報は得られなかった。もっと自分にとって重要な意味を成すシーンへの移動が促された。するとモクモクと雲のようなものが現れ、それがすーっと晴れると濃茶の壁のような扉が現れた。と、その扉にへばりつくようにして上を見上げている感覚が体に入ってくる。“扉は開きますか?” “うーん。開かないと思う。出ちゃいけないんだと思う。”そんな答えが自然と口から出てくる。感覚で“分かる”みたいに。“中が分かりますか?” その言葉を合図に中の様子がざーーーーっと拡がる。そこは平安時代。あさこさんの質問に答えるために、シーンの細部をダイブするように探る。広い庭、梅、橋、板張りの部屋、廊下、お地蔵さんの並ぶ建物? 金と赤の重ーい着物、鞠を蹴る人たち、歌詠み…。 あらら。どうやら私はこの広い家の娘らしい。17歳。中の世界しか知らない。芸術や雅びな世界は大好きなのに、何だか本当の生活ではない気がして外に出てみたい。でも着物は重くて走れないし、行ってはいけない。外のみんながこんな姿をどう思うだろうか!気持ちが一体化して、着物の重さが実際に感じられる…。“誰か知っている人がいますか?” 旦那が居そうなんだけどな。居て欲しいな。でも残念。探せなかった。何百人と敷地内に居そうな感じがする。その内の誰かだといいな・・・。“じゃあ、どこか他の重要なシーンや時代に行ってみようか” “ええっ。そんな簡単に・・・。” と思った。客観的に。実際の私が。
で。お次はドイツの深い森の中。バスケットを片手に、街へと向かう森の中をぐるぐるさまよっている。今度は24歳。青いハイウエストのドレスを着ていて、石造りの蔦がからまる大きなダイニングのある屋敷に住んでいる。今度もやはり、街へ行って遊びたいのに変に自分の身分を気にして森から先へ進めない。とにかく家柄がそれを許さないと思っている。誰も行ってはいけないとは言わないのに。原因を探るシーンへダイブを促される。すると、わらが積まれた納屋?みたいな場所で16の彼女が街の見知らぬ人に胸ぐらをつかまれて、壁に押さえ付けられている。とたんに横になっている自分の胸が苦しくなり、後頭部が強く圧迫されるように痛む。どうやら、家がした事で、ただその家の人間だというだけで、恨まれ、捕まれ、吊り上げられているらしい。でもそれが理由では亡くならない。ただ、トラウマになってしまったみたい。“自分の死ぬ場面は見えますか?” 又何かのシーンが見えると思ったら、映像がパラパラパラっとページを閉じていくように見えなくなっていった。“何も見えなくなった。” “いいよ。では帰ってこようか” そして、あさこさんのカウントで嘘のように雲が晴れるようにして自分自身の意識に戻ってきた。
常に意識ははっきりしていて、質問に答えていたんだけど、実際の自分の意識とは全く違う意識が感覚として流れ込んできていた事に、目を開いてから気付いて驚いた。しかも開始から2時間も経っていた。
【分析編】
私は、昔から“デキル”事があると、それを謙遜ではなく変に人に隠す癖がある。何だか何かに対して申し訳ないような感じがしてしまうん。ダンスにおいてもそうで、学校卒業の際には、先生がこぞってそこを治せと口を酸っぱくして言っていた。アピールするのがプロのダンサーの仕事。でも、ずーっとそれが出来ないで何年もきてしまった。本当はしたいのに。今回の治療で、私はかなり気付いた事が多い。私は昔から 言葉で自分をアピールしようとすると、胸がギューっと押えられるように圧迫され口から発生するのがとても辛くなる。トラウマをまだ引きずっていたんですね。そして、だから言葉なしで自己表現のできる“踊り”に心頭していったんだな。と感じる。これからは、変な詮索、申し訳ないと思ってしまう気持ちを振り払って、自分に自信を持って存在をアピールせねば、このテーマは又来世に持ち越されるんだな。と。まずは、決意表明とばかりに書いてみた。なん世にもわたるトラウマだから、そう易々とは克服できないと思うけれど、まずは活字から 高くて重い門の外に、深い森の外に出してみようと思った。ああ。ちょっと不安だけど頑張ってみよう。
後日ドイツの森や街をネットで探していたら、見たような写真ばかりで驚いてしまった。